この一年のゴタゴタの言い訳

お題「#この1年の変化

⚠️ちょっと暗いかも、あと長い

 

 

 

 

 

 

個人的にはこの一年、なかなかしんどかったです。

ネタバレしますと「家族が敵」に見えました。

今まで学校の生徒全員が敵っぽかったことはあっても(それでも手を差し伸べてくれる生徒は居たし、先生はずっと支えてくれた)、家は最後の拠り所でした。

 

そんな家でしたが去年の2月辺りになると暗雲が漂ってきました。

別居していた兄が仕事を辞め、自宅に帰ってくることになったのです。

両親はそんな兄に対しての不満を言うことが増えてきました。

自分は居心地の悪さを感じながらも、(きっとどうにかなる。みんなで仲良く話せるようになる)と思っていました。

そこにやってきたのは「コロナによる臨時休校」

余りにも突然だったので先生たちも驚いてました。

テストが終わってから荷物を急いでまとめて持って帰りました。

部活の旅行も先輩達の送別会のことごとく中止(´;ω;`)

最初のうちは(春休みが前倒しでやってきたんだし思いっきり満喫するぞー!)という感覚でした。

しかし出歩けない中早々に飽き、それに加えて愚痴を毎日のように溜め込み、どんどん鬱屈としていきました。(動ける鬱屈)

3月の下旬に兄の荷物を取りに行った時は一触即発の空気に押されながらできる限り平然と、間を取り持つようにしていました。

両親も兄もお互いがいる時はいいのですが、どちらかが居なくなると互いの愚痴を吐き、嫌でも耳にすることが増えました。

 

4月になると学校が再開し、これで少しは良くなるだろうと期待しました。

久しぶりに友達に会い、部活の勧誘のために自作したあみぐるみを持っていき、やっと日常に戻れる…!と思ってました。

が、一週間もせずまた休校🏫

プロのオーケストラの方たちとの演奏会も文化祭も全滅しました(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

(あと知り合いの方からあみぐるみの依頼があり、それを展示する予定だったのも立ちきえになりました)

また自室に引きこもる中気持ちも塞ぎ込んでいく_(:3」z)_

その頃から様子がおかしくなっていくのが自分の中ではっきりわかるようななりました。

何かをしようとしても、少しすると涙が出て何も手につかなくなるのです。

それで落ち着くにも半日かかり、また何かしようとすると泣き出す、そんな毎日でした

学校で自主勉強をするよう言われていたのですが全く手が出ず…

それでも家族には見せまいと必死になって笑顔を作ってました。

 

ある日、晩御飯の時間になっても涙が止まず、しばらく経ってからご飯を食べに行きました。

皆はもう既に食べ終わっており、自分の席に背を向けてくつろいでました(自分の席はリビングに背を向ける方に向いているのです)。

食べている間、涙が目からも鼻からも出ていたのですが、できるだけ静かにしていたかったので手で拭いながらゆっくり食べました。

動くのも辛かったのですが、手がベタベタになるので2回くらい手を洗いに行きました。

食べ終わってから二回目の手洗いに行った時、洗面所のドアのところに兄がいて「よっ!」と言いました。

ただ、いつも聞いている、明るい(少しふざけたようにも聞こえた)声だったのですが、「ああ…」と言いながら崩れ落ちました。

崩れ落ちたというより体の力が全て抜け、入らなくなった感じでした。

兄はそんな自分を見て心配しましたが「大丈夫」と言っておいた気がします。

その後、重い体を引きずって玄関に行き人目につかないとこでうずくまって泣きました。

21時位だった頃、急に消えた自分を探して玄関に親が来るのが分かって、涙を拭き、寝たふりをしました。

 

それから後日、兄は話を聞きに来てくれました。

兄の助言で、学校でお世話になったカウンセラーの先生に連絡をして、リモートで話を聞きに行ったり、街中の相談所に連れて行ってくれたりしました。

しかし数日もしないうちにまた気分は沈んでいきました。

そんな中、久々に登校日があり、帰り際に話をしようと保健室に寄りあらずじを話したら、涙がやはり出て、その日病院でカウンセリングを受ける予定だったが学校と被ったので親だけ病院にいくことになったと話をしたら、先生に「親に電話して病院行きな!メールじゃ見ないかもだからここで電話して!」と言われ、涙が残った状態で母に電話しました。

号泣してしていたのに電話中だけ普段通りの声で話していたので先生から仰天されました(苦笑)

呼び出した母の前に行く時、どんな顔をしていいのか分からず、必死に笑顔を極力自然に作っていたら「時間無いから早く来て」と一喝されました。

あまり病院はどうだったのか覚えていないのですが、だいぶ泣きまくったのか帰ってから爆睡しました💤

それから寝ぼけ眼で夕食を食べ、英会話教室に行き、帰ってくる時に聞いたラジオに励まされ📻

 

学校が本格的に始まってから、部活の顧問の先生が引退するのに気の毒だと部内発表会を企画してくださいました🎻

最後に三年生で弾くアイネクライネナハトムジークの練習の中、本当に久々なのに息があっていたり、ふざけている空間の中に入れて、伊達に2年一緒だったわけではないなあ、なんて思いました。

2年前なんて(2:2):1 (1が自分)みたいな感じで、自分はトカゲの尻尾でいいやなんて思っていた奴ですよ?!

この仲間で良かったと本当に心から思うんです。

演奏会は無事成功し、後輩たちの上達した演奏に涙しながら爽やかに去る…と思っていたのか!( ゚д゚)

実際は色々と未練があり(1年に色々教えなきゃ、耳コピやりたい、とか)、一ヵ月くらい居座っていました(ただの迷惑な奴)

中学の部活の時同じパートでの思い出が少なく(パート内ぼっちだった)、あまり後輩と関われず忘れられる率no.1(当社比)なのが怖かったんです。

それでも後輩たちは嫌な顔一つせずいてくれて本当に暖かかったです。

 

部活を引退してから夏休みに入り、また家に引きこもる日々になりました。

と言っても補修はあるわ模試はあるわで学校に行く日が多く、それと春休みの失態から学校にいる時間をできるだけ長くして家に居ないようにしました。(学校にいれば家のこと考えずにいられるので安定して勉強できました📝)

しかし他にも問題が増えました。

兄が仕事から帰ってきて風呂が空いてないと怒るのです:(;゙゚'ω゚'):

大抵自分が風呂入るのが遅く、更に時間がかかることが原因なんですけどね(自業自得)

まあ言い訳しますとゆっくり風呂に入ることでリラックスしているんですよ。

ただ個人的に困るのが、遅く出てきても大丈夫な日もあり、帰ってきた時点で出てないとイライラな日もあるということです(兄曰く「今日は先に風呂に入りたいという日に限って遅い」とのこと)

親もそれを分かっているのか、兄が帰ってくる車の音が聞こえると知らせてくれます。

そしたらもう、全てを捨てて、風呂から出るしか残された道はない。

体が拭けていようがいまいが服を身につけ洗面所から出ていくのだ。

 

そんな日が続く中、事件が起こる…。

あれは忘れもしない、12/27のことだった…

あの日は親は留守で、お昼は買ってくるなりなんなりしてとお金を渡されました。

自分は商品を選ぶのに時間がかかるので兄とは別行動で買いに行こうと思っていました。

しかし兄に、同じところに行くのに行かないのかと言われ、選ぶのに時間がかかるからと言ったのですが、なんやかんやあって早く選ぶという条件で一緒に行くことに。 

なので何を買おうかあらかじめ考えておきました。

しかし、探していた商品はどこにもなく、商品を手に取り賞味期限を確認しようにも兄の癪に触りそうでできず、時間だけがどんどん過ぎていきました。

兄のイライラが高速で溜まっていくのが分かったのでその辺にある特に食べたくもないものを手渡しました。

苦しくなり店を出ると車の影で泣きました。

兄が会計を済ませ車に乗るなり説教タイム(._.)

自分はただ泣きじゃくりながら兄の喜びそうな言葉を探して言ってました。

頑張ってもできそうもないことも、できないなんて言わせない。

そんな説教の様子は、昔父が嫌いだった幼い頃の記憶と瓜二つ。

やはり血は争えぬということを思いました。

 

家に帰るととてもヘトヘトになってました。

心を止めていた糸がふつりときれたように感じました。(張り詰めてなかったので破裂音じゃないです。擦り切れたイメージです)

もうなんか全て馬鹿馬鹿しくなり憎悪に包まれ(死のう)と思いました。

散らかった机上の適当な紙切れに「ごめんなさい」だか何だか殴り書きをし、ハンガーにかけてあったベルトを首に巻き大きめのポリ袋(不透明のやつ。首吊りすると目が飛び出るというのを聞いたことがあり掃除がめんどくさそうだったので)を被ったのですがこれがすっごく苦しい。(あったりめーだ)

1時間ほど格闘し疲れたので凍死に切り替えることにしました。

シャツパン一枚になり部屋の床に寝っ転がる。

しかしクリスマスに貰った大好きな本に手をつけてない!死ぬ前に見ておこうと思ったのですが動く気にもなれない。そのまま仰向けに寝っ転がりじっとしてました。

1回くらい喉が本気で乾き水を飲みに行きましたが(兄は自室にこもっていた)ふらふらして頭痛が酷かったです。(体温を測ってみると35度とかでした)

日が暮れて両親の車の音が聞こえたのですが、自分は必死に、来ないでくれ気づかないでくれ、早くことぎれろと願ってました。

がそんな祈りも虚しく、母は部屋に入ってきました。

自分を見るたび仰天し「どうしたの?!」と言いました。

流石に死に損なったなんて言えないので(両親は自殺は心の弱い人がするものと言っていたので)、自分は余力で起き上がると小さく「生きててごめんなさい」と吐きました。

それを耳にすると母は「何言ってるの!もうすぐ試験じゃない!」と返しました。

きっとこの事はわかってくれないなと思いながら下のコタツへ歩きました。

タツにあたると大分衰弱させたのかピクリとも動けない。

その後数日間頭痛と気持ち悪さにうなされました。

 

共通テストまでのラストスパートの期間、変わらず自分は学校に篭りました。

試験が終わった後の補修も最終日まで通いました。

もう昼間の我が家には誰もいないが、場所を変えれば過去の痛みも今の苦しみも振り切っていける。まして一人暮らしはもっと自由になれる🕊

そう信じてひたすらに勉強しました。

その努力が実ったからか、無事大学への切符を勝ち取りました🌸

 

今、自分だけの要塞を手にし、家ともいい具合に距離をとりながら生きています。

家族はそもそも完璧にはなり得ないけど、うまい具合に付き合いながらやっていこうと思います。

 

長く重い記事でしたが、ここまでご覧いただきありがとうございましたm(_ _)m

これからはゆるいペースで書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。

約4500文字の弁解文でした!